From 宮城哲郎

本日のstand.fm「新テツの部屋」はこちらから聴けます。
セット販売で購入の痛みを最小限にする(3月26日放送)

ちなみに全ての方法をお聴きになる場合はこちらのバナーをクリック↓↓

 

今回の放送は、完全に「マーケティングネタ」として仕上がってます。仕上がっていると言っても5分ぐらいで話していますが、一つのノウハウとして直ぐ使えるような話をしてますので、この後、すぐに聴いて頂き、会社のミーティングなどのネタとして部下に語ってください。

では、早速本題です。

実は、今年41歳になる宮城なのですが、コロナから1年経って、これまで以上に生き方が変わっている所存でございます。

2020年は、僕にとって大きな一年になるはずでした。東京五輪が開幕されるのを見越してこれまで以上に「スポーツ」という分野で幅広く活動する予定だったわけです。

今から約8年前の2013年の9月に「東京」でオリンピックが開催される事が決まりました。その頃は、ちょうど起業して4年ほど経っておりビジネスとしてはだいぶ軌道に乗っていた時期です。

サンビスカス沖縄というクラブも大きくなり、「スポーツビジネスで食えるわけないだろう?」と、ブラジルから帰ってきた頃に言われてた時期に比べるとだいぶ状況は一変してたわけです。もう、かなりです。

「飯を食うのも難しいとされるスポーツビジネス」で、がっつり美味しい飯を食っていた僕を見て、多くの人が興味を持って来るようになりました。

「どうやってスポーツで稼ぐのかということを単純に知りたい」という同業の人達や、「そのノウハウを自社の方でもご教授頂きたい」という異業種の人達とです。

色々な場に呼ばれちょっとしたスター的な扱いです。ま、悪いは気はしませんでしたが、正直、こうも状況が変わるのかと笑えていたのも事実です。

さて、そんな状況もあったので、僕は更に事業を拡大しようと会社をもう一つ作りました。それが、株式会社サンビリーフというコンサルティング会社です。

2015年になり、今まで業種問わずにやっていたコンサル活動を「スポーツに特化する」と決めて動き出すようになってからは、更に多くの人達と出会う事になりました。

特に、スポビジ大学を作った頃を皮切りに全国的に顧客を抱えられるようになり、自分でも少し出来過ぎかなーと思ってた次第です。

で、そうした状況になると、突然のように毎日が忙しくなってしまいました。もちろん仕事としては充実はしてたんですが、家族に負担をかけてしまってたわけです。僕の電子書籍を読んだ事がある方であればご存知だと思いますが、僕にとっては大きな傷として残ってます。(→ 電子書籍:スポーツ起業家になる為の方法

そんな苦い経験から、僕はこれまでと生き方や働き方を大きく変えました。それが「スポーツ起業家©️」というものです。

自分の夢も、大切な人も、そして理想の収入も手に入れる…

それをテーマとしたスポーツ起業家を育成しようと決意したのです。そして、その時に僕が立てた目標こそが…。

2020年の東京五輪の開幕までに、スポーツで生計を立てる事が普通の世界を作る。

というものだったんです。

そして、そこから逆算して、全国各地で講演会を企画して飛び回り、スポーツで生計を立てるために必要な考え方やメソッドなどを伝える活動をしてたわけです。(→ スポーツ起業家講演会全国ツアー

プロスポーツと呼ばれるカテゴリーから、地域に密着したビジネス、個人経営や、事業所さんと、本当に多くの人とお会いして語りつくしてきた訳ですね?

そんな中で自分一人では足りないと感じたので、僕のこれまでの経験を継承するスポーツビジネスに特化したコンサルタントでもある「スポーツコンサルタント」の育成も始めました。

そして2019年になり、その活動もどんどん盛り上がり僕自身もかなり手応えを感じていたわけです。

勢い乗った僕は、更に「2020年は、北海道から順に講演で回るぞ!」と、準備しました。かなり大量の広告費を出してPRもしてたんです。

それが功を奏して毎月のように講演会のスケジュールも決まってきました。長崎、熊本、宮崎、愛知、香川、という感じで、どんどんオファーも来てました。

「聖火ランナーの感覚で全国を回る。そして五輪が終わった後のスポーツ界をみんなで盛り上げるんだ!」

そんな強烈な思いで巡業していた訳です。

ですがコロナで一気にそれがパーになりました。決まっていた案件は全て中止、かけたお金は全て無駄になってしまいました。

決まっていたスケジュールがどんどん白紙になる。。。
この感じ、かなり引きましたね。笑

もちろん、これはコンサル活動だけでなくサンビスカス沖縄でも同じでした。スポーツサービスが提供できない。そうした状況になったわけです。

ま、そうした状況下でも、わざわざ指を加えて見てるのは性に合わないので、色々と足掻いたおかげで、こうして今も生きてるわけですが、そうした1年が僕にとって「新たな人生観」を与えてくれたわけです。

それが何かというと、「遺す」ことを強烈に意識するようになったということです。

今までは、自分が「どうやって得るか?」という価値基準で突っ走ってきました。自分が強くなれば多くの人達を助ける事ができる。そんな単純な思考です。でも、今回のコロナ禍で、そうした事がなんだかどうでも良くなりました。本当マジです。

自分もいつか死ぬ。まだ死ぬ事は先かもしれないけど、自分が誰にも貢献できなくなる時は必ずくる。。。そういうのを実感してしまったわけです。

だから僕は考えました。僕が今、まだ力があるうちに何を遺せるのか?ということを考えるようになったんです。

それからの僕は、働く事への考え方も再定義しました。

これからは「個人の時代」と言われている中で、僕は「他者」を意識するようになったんです。

自分を慕ってくれる仲間達が、これからの「個人の時代」を生き抜けるように、僕は自分のビジネスを仕方を変えたのです。

それぞれのメンバーに役割を与え、今までは自分が引っ張ることを意識してたのですが、多少転んでもそれでも仲間にさせる。そんな感じです。

これは、どこか子育てに似てるかも知れません。自分の方が確実に先にいなくなるわけですから、そうなった時にでも残された人達だけでも前に進めるように育てようと考えたのです。

現在は、経営の部分であっても僕以外のメンバーに責任を任せてみています。これまでは、どんなことがあっても経営の部分だけは、他にさせる事はありませんでした。でも、それもさせているんです。

ですが正直、それってプレーヤータイプの僕には超がつくほど面倒です。当然ですが、決断のスピードが僕と違うわけですし精度もまだ低いからです。

でも、だからこそ…という感じです。

自分も明日どうなるかわかりません。そんな状況の中で何でも自分が全部やってしまってたのなら、もしも、僕に何かあったら、残った彼らはこれからの時代を戦えなくなります。

そういうのを最近、毎日のように考えます。本当に毎日です。

子供の顔を見る度に、妻の顔を見るたびに、部下の顔を見るたびに、お客さんの顔を見る度に…。

「俺がいなくなっても、この状態が続く為に、俺は今何をすべきか?」

そんなことばかり考えてるわけです。

そういう意味では、今回の出来事は僕にとってはプラスに働いている気がします。もちろん良い状況なのか言えば、まだまだ大変な時期も続きそうなので楽観視しているわけではありません。

でも、それでも、40歳を超えて自分の中で新しい感覚みたいのを感じられている事が、成長として実感できているというわけです。

今年は、2019年時に僕が描いていた未来とは大きく状況が異なってしまいました。でも、それでも僕は後ろを向く事も無く、そして後悔する事もしないでしょう。

人生には色々とあるものです。僕にも、そして、これを読んでいるあなたにも色々とあった事でしょう。

でも、それでも僕らは、やっぱり今日を一生懸命に生きることしか出来ないのかなと思います。

自分という存在のちっぽけさと、儚さのような物を感じた2020年でしたが、だからこそ尊く、そして大切に生きようかと気づかされています。

自分が何者であるかどうかは生きているうちはわかりません。でも、それでも「こう在りたい」という確固たる新年のような物が存在していて、それが僕にとって「遺す」ということなんだというわけですね。

あなたは、どうですか??

それでは、今日は以上です。

哲郎

 

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